4 坂倉心悟、PASSENGERの頃

2010年のツアー「ミチナキミチ」の頃から2011年、『PASSENGER』を経て『HUMANIA』までの間、NICOはひたすらライヴとスタジオでの制作作業を繰り返す日々を送っていたーーというのは、当時のいろんなインタヴューなどで語られているけれど、端から見ていても実際、その1年半くらいの間、NICOは本当にライヴをやっている時以外は常にスタジオにいたように思います。私達メディアが本人達と直接コミュニケーションを取る機会は取材かライヴの時しかないけれど、たとえばスタッフと話をしていても、常に「今は曲作りでスタジオに入ってる」とか「プリプロのための合宿に行ってる」とか「○日までレコーディングで」とか、そういう話になって。何度かメンバーに「スタジオに住んでるのかと思うくらいの勢いだよね?」と言ったことがあるんですが、その度にみんな苦笑しながら「実際、それくらいの勢いでずっと制作やってますよ」という返事を返してくれて、それくらい、あの時期のNICOは文字通り音楽漬け、「NICO漬け」の日々を過ごしながら、自分達の音楽を掴み獲ろうとしていました。

存知の通り、「光村の作った楽曲をこの4人で表現する」ことがひとつの大きなアイデンティティだったNICOも、今では坂倉も古村も作詞・作曲を手がけるようになりました。そういうことが起こるようになったのは、まさにこの時期。初めて光村以外のメンバーの曲が録音されたのは坂倉作曲による"マトリョーシカ"(『PASSENGER』)だったのですが、当時のインタヴューで「最初に坂倉のデモを聴いた時はNICOとしてかなり異質だなと思ったけど、4人で鳴らしたらちゃんとNICOの曲になった」という過程を口々に説明してくれた4人はとても楽しそうだったのを覚えています。坂倉はこの曲が世に出てから表現者としての意識が強くなったと思うし、そして逆に光村も、坂倉や古村が書く曲に刺激を受けてソングライティングに磨きがかかっていった。そういうバンド内のクリエイティヴな相互作用が、NICOをひと回りもふた回りも大きく、そして強く、成長させたのです。

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